2014年7月18日金曜日

「世阿弥の身体論」とモーターサイクル

世阿弥の身体論:内田樹の研究室
というブログがある。内田樹はネトウヨあたりから
いろいろ攻撃されている人物ということで一部では有名だが、
ネトウヨのことはさておき、
この「世阿弥の身体論」については、面白いことを言っている。

というのも、このブログで、
内田樹が「自然」や「大地」と言っているものを
そのまま「機械」または「内燃機関」に置き換えれば
それはそのままモーターサイクルのことに
置き換えられるからだ。

「機械」を「自然」の反対語とすることは正しくない。
機械とは、物理学の原理に従って
人間が加工したモノであり、
それゆえ、徹頭徹尾、物理学の呪縛の下にある。

理系の出身者であれば理解しているだろうが
物理学とは、少し詩的な言い方をすれば
「自然の営みを人が理解できる形で記述したもの」
であり、いわば「自然そのもの」といえる。

だから内田樹が「自然」と表現したものを
「機械」と置き換えることは、さほど奇異なことではない。

たとえば、彼の文章の一部を

 ライディングとは「自分の持つ力を発揮する」技術ではなく、
 むしろ「外部から到来する、制御できない力に自分の身体を捧げる」
 技術だということである。
 モーターサイクルというのは、扱ってみるとわかるが、
 体の延長として便利に使える移動機関のことではない。

 そうではなくて、モーターサイクルに跨ると自分の身体が整うのである。
 私がモーターサイクルを扱うのではなく、
 モーターサイクルが私を「あるべきかたち」へ導くのである。

と書きかえてみると、確かにその通り、と思うだろう。

モーターサイクルを無理やり押さえつけて
どうにかしようとしても、危険なだけで
まったくラップタイムの向上にはつながらない。

それよりは、モーターサイクルの特性を理解し
機械として効率的に動くように、
モーターサイクルが要求するように自分が動く、
ということのほうが、はるかに効果が高い。

また、源氏という「野生獣のエネルギーを御する一族」は
今の世の「機械のエネルギーを御する一族」として
我々ライダーの中に息づいていると言ってよい。

ただし、源氏が「野生獣のエネルギーを御する一族」
であるというのは、日本史の範囲内では正しいが、
世界的にみると、かなり怪しいレベルだと言わざるを得ない。

現在の競走馬や、明治以降の軍馬をはじめとする馬たちは
みな諸外国から輸入された馬であり、
それまでの日本古来の馬というものは
欧米でいうポニーのような小型の馬であったし、
数もさほど多くなかった。

源義経が一の谷の戦いで、
「鹿も四足、馬も四足」
と、山越えで平家の陣の背後に出て、
一気に勝負をつけたのはあまりにも有名だが、
その兵力は百騎もいなかったと伝えられている。

逆にいうと、源氏の大軍団といえど、
この程度の数しか馬を持っていなかったのである。

また、戦国時代の「武田騎馬軍団」というのも
我々が普通に考える「騎馬軍団」とは
大いに様相を異にしている。

武田の地元は、山の多い地形だったため、
食料など重い荷物を迅速に運ぶ目的で、
他の大名よりも馬の保有数が多かったため、
「騎馬軍団」と言われただけのことである。

昨今では「完全な嘘っぱち」という評価が定着している
長篠の戦いにおける「信長の鉄砲三段撃ち」だが、
そもそも、武田軍は馬に乗っての突撃などしていないので、
三段撃ちの必要性すらなかったのだ。

モンゴル騎兵のようにほぼ全員が馬に乗り、
そして、馬の機動力を最大限に生かして戦う、
というのが我々の思い描く「騎馬軍団」だとすると
源氏や武田を「騎馬軍団」と言ってしまうのは
大きな誤解を招きかねない。

モンゴルがあれほどの大帝国を作り上げたことからも、
本当の騎兵軍団の威力がどれほどであったか、が分かる。

モンゴル軍は現在の分類でいうと軽騎兵で
せっかくの馬の機動力を殺さぬよう
鎧などは最小限にとどめ、弓と刀で武装していた。

日本古来の馬は、走る速度も低く、
長距離を走る力もなかったが、
モンゴルの馬は、草原を縦横に走り回った。

中世ヨーロッパの軍隊も騎兵中心ではあったが
貴族が中心で、無意味なほど重い鎧を着けており
移動速度は非常に遅かった。

しかも、一人の兵士(=貴族)に対して
馬の世話係やお抱えのコック
はては売春婦なども同行することが多く
たとえば5万人の部隊、といっても
本当の戦闘員は1万未満、なんてことはざら。

これでは軍隊の行軍というより
貴族の社交クラブによる屋外旅行にちかい。

バラバラの小集団に分かれていたモンゴル騎馬民族が
チンギス・ハンの元に統一された時点で
大モンゴル帝国の出現は約束されたも同然だったし、
そのモンゴル帝国は内紛によってのみ滅んだ。



・・・・・さて、元軍事ヲタクの血が騒いで、
話が横道に逸れすぎた。

このような歴史を持つ日本人というのは
世界的には、馬の扱いに慣れていない。

特に欧州馬の様な大型馬に至っては
絶望的なほどに慣れていない。

それが影響しているのかどうか、
近代のモーターサイクルレースにおいても
小排気量クラスのチャンピオンは出現したものの
大排気量の500cc、MotoGP、SBKのチャンピオンはいまだ出現していない。

(芳賀選手がSBKのチャンピオン寸前までいったとか、
 辻本選手がAMAで、かなり大暴れしたとか、
 北川選手が世界耐久のチャンピオンになった、
 あたりがわずかな例外だろう。)

これが日本人の大型馬との歴史の浅さを
反映しているものであるならば
アジア人初のMotoGPチャンピオンは
あるいはモンゴル人から出るのかもしれない。

・・・・題名からかなりかけ離れたところ話が進んだうえに、
    最後の結論は、かなりこじつけに近い見解ではあるが。(笑)

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